塩谷で迎える初めての朝です。12時過ぎに倒れるように寝ましたが6時前に目が覚めてしまいました。ゆうべの日本酒が頭に残っているようで軽く二日酔いです。寒さ対策をして早朝の塩谷を歩いてみました。この雪に囲まれた村は、小千谷市からの幹線道路以外は村から出る全ての道が冬季通行止めです。その昔、冬は雪に閉ざされて外に出られないというのは嘘ではないような気がしました。村を囲う山肌に朝日が当たり始め、反対がわには薄い月が浮かぶ美しい風景でした。
朝食をすませ、午前中いっぱい雪かき作業をします。今度は宿泊した公民館の裏手の雪がたまってきたので、そこをやっつけることになりました。行政が行うのは道路の除雪作業と融雪剤の散布だけで、各家庭の雪下ろしや雪の片付けは各個人の責任で行われるということです。高齢化が進む地域ではこれはきびしい話だと実感しました。公民館も村人のあいている手でやらなければいけない場所ですが、雪かきがしてなかったということは手が足りないのでしょう。そこを片付けさせてもらったと言うことは、村の人の役にも立てたということでしょう。今回は天候に恵まれて、雪かきをたっぷりとすることができて、昨年のリベンジを果たせました。
午前の作業でかなりの雪をかきだしましたが、雪はどこかに片付けるというよりは邪魔にならないところに移動するという作業のようです。村の人は言います、春になればどんな雪でも融けるから無理はするもんじゃない。なるほど、雪と生活する一つの真理に出会ったようでした。作業を終えて部屋の片づけをしているとあれほど天気がよかったのが一変して、雨が降り強風が吹いたと思うと、雪になりました。そして吹雪のように横なぐりな雪が景色を一変させます。荷物をまとめてバス停に向かう時に村人が三人車で送ってくれました。そして、バスが発車するまで、見送ってもらい塩谷の雪かき合宿は終わりました。
書いてあることはただの事実だけです。何か感動することや教えられることも多くはありましたが、それをことさら強調するものでもありません。ただ、中越地震がなければ幸せなままで、我々が関わることもなかっただろう塩谷の村に、今後も関わっていく責任と楽しみが増えたということは間違うこと無い事実であります。また、村に行きます。