昨日お知らせしたとおり、土曜日は朝から新幹線に乗って新潟県中越地震の被災地であります塩谷地区に向かいます。朝6時半の大宮発に乗りますと、8時12分には小千谷駅に到着でき、駅に迎えに来てくれていた村人といっしょに乗り合いタクシーで山を上ります。何度かブログにも登場している塩谷地区ですが今年は12月からの積雪が多く、すでに2.5mの積雪があります。村の中は写真のような道ばかりです。中越地震が起きた年からこの場所には多くのボランティアがはいり活動していました。その団体の多くが再び昨年の東日本大震災で活動をしていましたので、そのメンバーを集めて活動報告会をしようというのが会の趣旨でした。私は今回NPO法人コミュニティ活動支援センターの理事として参加発表いたしました。
会場となるセンターには塩谷の人、山を下りた人、発表者として大学の先生など50名以上の人が集まり、順番に活動報告をしました。中越地震から7年たった今、被災地であったこの場所がどうなるのかという事を考えるためにはもっと大勢の参加者があってよかったかもしれません。活動の発表はやってきたことを言う事だけになりがちですが、次につなげるためにはこれから何をすればいいのか、それを一番知っているのは被災した塩谷の人たちかもしれません。それでも2時間の予定が3時間近くにのびた熱い報告会が終わり懇親会になりました。そこでは、村人の持ち寄る新潟の酒と全国から集まってきた団体のみんなの持ってくる酒とが集まり品評会のようです。私も埼玉は秩父の酒をもって参戦しました。しかしここ数日の疲れからか夕方にはあえなく撃沈してしまい、夜の帰宅もままならず、翌朝までセンターで倒れるように寝てしまいました。風邪はひきませんでしたが寒かった塩谷で、次の活動の意識を強く持つ事ができました。
地震で失うものを少なくするためにどうしたらよいか、地震では多かれ少なかれ何かが失われていきます。それを取り戻す事ができれば元に戻れるのであれば、その被害を最小限に抑えるために普段から何ができるのかを考えて行動し準備する事こそが一番大切だとあらためて気がつきました。次の地震は必ずきます。予言でも何でもなくて自然の摂理です。その時にどうするのではなくて、その時が来るまでにできる限りの事をしておく事が最重要課題だと思います。