木曜日より今日まで、仕事でもお世話になっております聖学院大学の関係で、岩手県野田村に学生さん5名・職員さん1名と私の計7名のチームでボランティア活動に行ってきました。4月に職員のSさんと視察をした時に、学生さんが安全に活動できて、ボランティア活動を学べる場所として選んだのが岩手県野田村でした。こちらは250世帯の家が被害を受け、30数名の方が亡くなられている被害のあった土地ですが、行方不明者は完全に把握されているために、作業中にご遺体などを見つけることがない場所です。また、最北に近い被害地のため北からの支援が入りやすく、比較的復興の進んでいる場所ということでこの場所を聖学院大学の支援派遣第一陣の場所として選びました。

埼玉からは約700キロ離れているため、前後1日ずつは移動に当てざるをえませんが、それでも金曜・土曜の2日間は丸一日作業することができました。今回参加してくれた学生さんは1年生1名、2年生4名。女子学生が1名で残りが男子という構成でした。今まで被災地での活動などの経験も無いメンバーが多いので、初めから教え伝えていく必要があります。初日到着した夕方に野田村の被災地を歩いてもらいました。瓦礫撤去も進み広い範囲で全ての家が流されていますので、一面被災野原で荒涼としています。学生さんたちも初めて見た被災地に言葉が無いようでした。宿泊は隣にある久慈市のホテルでこちらは被害も少なく町も正常に活動しております。夜には被害のあった時に地元にいた方にお話を伺い、あの時の様子を語ってもらいました。

翌日、朝8時にホテルを出て野田村に向かいます。学生の中でリーダーを決めて、ボランティアセンターVCでの受付申し込みから自分でやってもらうようにします。その日のニーズは瓦礫が片付けられていない畑の瓦礫撤去作業です。広い畑か田んぼには津波で流れて残された家の屋根や柱、車のタイヤなど大きなものから、生活用品・子供のおもちゃなどの小さなものまで残されています。それを手で集めて一輪車にのせてトンパックに収納してゆきます。大きな流木などは7人で運び、広い畑を何往復もして片付けて行きます。1時間ごとに休憩を入れながら、その指示も学生さん主体で行います。午後からは屋根を解体するために、看板屋さんの道具を持ち出しましたが、基本的には自分の手で行える作業をするボランティアを3時まで行いました。VCで貸し出した道具を片付けて、作業報告をして一日の作業完了です。夜には食事を取りながら感想を述べてもらい、色々な話をする中で、自分のできたことできなかったこと、明日に向けての作業確認などをしてゆきます。

作業2日目はあいにく小雨が降る中でしたが、昨日とは別の学生にリーダーさんをまかせて、今度は津波で全壊の家の瓦礫を片付けます。大きい瓦礫は重機で作業員さんが撤去し終えていますが、細かい瓦礫を取り除いてからでないと更地にすることができません。その作業がボランティアさんの作業となります。3軒分の家の瓦礫を全部で20数名のボラさんの協力で片付けていきます。全国から集まっているボラさんともコミュニケーションをしながら作業する大切さを昨晩伝えたので、今日は声を掛け合って良い協力が見られました。1日の作業で予定の片づけを終えることができ、トンパック15杯分くらいの瓦礫を集めることができました。最初見た時は、こんなの片付かないよと思った学生さんもきれいになった家を見て達成感と充足感があったようでした。

作業後、帰り道の温泉に入り汗と汚れを流し、露天風呂でも語らいをします。夜には最後の晩と言うことで、二日間の感想や今後の気持ちなどを聞いて、色々な話をしました。今回参加してくれた学生さんは、みな純粋でまっすぐに作業に取り組んでくれて、被災地のことも色々と感じてくれました。また次も参加したいという言葉も聞けましたので、第一陣派遣としては、十分意義のあるものだと感じています。学生さんが持つ悩みなどの話も聞きながら、倍以上も年の離れた学生さんの言葉からも得るものがありました。

また、瓦礫の中からあの時を指し示す時計が出てきました。あの3・11から私個人としては震災に関わる様々な活動を続けております。2ヶ月半が経ち、緊急の時期を過ぎた被災地でもまだまだボランティアは必要とされています。そこに多くの若い力を単純にそそぎこみたいのですが、それと同時に、今後起こる可能性のある次の災害時に動ける人間を育てる事も必要だと感じております。今回の聖学院大学さんとのボラ派遣では、そのことに重点をおいてリーダーとして動ける人間を育てることも考えて行動できました。この派遣は6月にもう一度行う予定になっています。本業の看板屋さんの仕事に無理の無い範囲で活動を続けて、微力ではありますが若い学生さんに色々なことを感じ学んでもらいたいと思います。