今日も忙しく看板作成・看板納品・現地調査・打ち合わせと動き回っていましたが、前に見積を提出したお店に行くと、別の看板が取り付けてありました。HPからはじめて問い合わせがあったお店のことでしたら、それほど気にもなりませんが、それなりにお付き合いのあるお店でしたので、ちょっと残念でした。そのまま無視してもいいですが、店長さんがいましたので、看板の業者さんと施工価格を聞きますと、それは弊社では無理な価格だなと思い、人情価格でもそこまでは受けられない範囲でした。今までも見積をして、価格で負けることは多々ありましたので、それをなんとか土俵際で残せるような手立てを考えていますが、難しいところです。やはりこの時代、価格が勝負を決めることも多いですが、それに負けない何かを持って仕事をしないと、価格競争で首をしめあうことになりかねません。
表題の「世知辛い」という言葉は調べてみますとなかなか奥が深い言葉でした。世知というのは世俗の知恵という意味から「世渡りの才能」という意味らしく、それが辛いということから、「暮らしにくい、世渡りがしにくい」という意味で世知辛いを使います。今回私はその意味で使っています。価格勝負じゃ仕事がしにくくなったなあという感想ですね。しかし、別の意味では、「世渡りの才能」から「勘定高い」という意味を強めて「勘定高くて抜け目がない」という意味も持つようです。お客様はより良い業者を選ぶのに価格も重視したわけですから「世知辛い」というほめ言葉にもなります。ダブルミーニングで今回は「世知辛い」という言葉がぴったりな出来事となったわけです。そんな世の中ですが、自分に出来る限りの知恵や才能を使って、「世知辛い」世の中ではなく、「世知幸い」な世の中(漢字が似てますから間違えないように)にしていきたいとも思います。これは私の造語ですけど。